家庭は大人の「子どもの部分」を見せる場所なのかもしれない

life

娘が腕を骨折したお話の続きです。

右上腕をしばらく固定する必要があり、三角巾でつっています。

着替えが想像以上に大変でした。

前開きの服を選んで着せていますが、中のシャツの着替えがなかなか苦労しています。

私も慣れない。娘も痛くて思うようにいかなくてイライラ。

『痛い!もういや!」と泣きながら怒りだし、「私だって痛くしないようにやってる!!」と二人して涙を目に浮かべて着替え。そして、三角巾取り替え、固定バンド装着。

私、大人げない、こどもみたいだな・・・と思いつつも。

これは私の夫が言っていたことですが、”家庭はある意味みんな子どもになる場所だ”と。

私たちは、家庭の外に出れば、やはり”こども”のように振る舞うことはしません。職場とかね。

そう言われると、私たちは皆、子どもの部分を多かれ少なかれ持っているように思うのです。

だから、両親でさえ、当たり前ですが普通の人間であり、「子どもの部分」を持っている大人。

そう考えると、たとえ理不尽と思えるような家族の言動もすんなり受け入れられるような気もしてきます。

母親になっても、「子ども」の部分もある私。

そのうち(既に?)、我が子も、うちの母親も普通の人間なんだよね、しかたないか〜 などと思うのでしょうか。

家族全員が、適度にそれぞれの「子ども」の部分を安心して出せるような家庭っていいのかも。もちろん適度に、ですがね。

ライフコーチ 中野かや

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