私のお父さんのこと

life

父が脳出血のため、亡くなりました。
その日は突然やってきて、
あまりにあっという間で
今も、信じられないような気持ちです。
すぐ近所の両親の家に行って、ベランダの外から声をかければ、
ひょこっと出てきてくれそうな、そんな感じ。

倒れたのは、偶然なのか必然なのか、両親の結婚記念日でした。
その日は、コンサートホールのピアノの調律をしていました。
最後になってしまったそのピアノの写真を
父は母にメールで送っていました。このブログ記事の写真がそれです。

帰宅中に、母との結婚記念日のお祝いにスパークリングワインを買い
「今日は雨だし、迎えに行く」と、塾帰りの私の娘を車で迎えに行ってくれました。
娘を下ろしたあと、駐車場に車をおき、
その帰宅中に激しい頭痛に襲われたようでした。

一夜が明け、朝、搬送先の病院で亡くなりました。

病院嫌い、薬嫌い、お酒大好きで
性格も決して丸くはなく
どちらかというと気性の激しい、気難しい職人タイプ。

私の母も、本当に苦労し、
子どもの頃の私は、父を憎んだことも。

でも、父は私が本当に困った時は必ず助けてくれた。
父なりに私を愛してくれていた。

夜逃げ同様に、
大きいお腹で実家に帰ってきた私を駅まで迎えに来てくれたのも父

シングルで出産した私の代理で
娘の出生届を提出しに行ったのも父

役所の窓口で、その出生届が「普通」でなかったことで、窓口の対応が悪く、父は怒鳴ったらしい

今までありがとう。
私の娘がここまで大きくなれたのは父のおかげ
娘を一緒に育ててくれてありがとう。

保育園の若くてかわいい先生たちにも
「おじいちゃん」って慕われてました。

その保育園のピアノの調律も頼まれて、
「絶対に行く」と癌治療中にもかかわらず、腕に点滴用の針刺さったまま
病院を抜け出して、調律師に行った父。
私は誇りに思います。

私の1回の離婚、2回の結婚、
他にもたくさん心配かけたし、振り回したような気もする。
ごめんなさい。

私の再婚のことでも、父とも本当にいろんなことがありました。
父としては手放しで祝福できないことだったのは事実だけど、
もうすぐ再婚して1年。
父はどう思っていたんだろうか。

救急搬送から、外はずっと雨
死亡確認が終わって
霊安室から外へ出ると、
雨はやみ、空がまぶしかった。
逝ってしまったんだな…って思った。

あなたの娘で幸せだったよ!
あなたの生き様は、立派でした。
あなたが好きだときいた、この曲を聴いて、見送ります。

父よ、ありがとう。

Maria Callas – O mio babbino caro – Gianni Schicci – Giacomo Puccini

マリア・カラス 「私のお父さん」

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