根性論に疑問 弱音は吐いた方がよい

life

小学生の持久走
中学高校のマラソン大会

とにかく苦手でした…
そこから私が感じたこと。

「私は、体力がなく、根性がない」

もともと運動は嫌いではなくて
大学で登山のトレーニングのひとつとして、ジョギングはやっていましたが、
でも、ちょっとスピード上げたり、誰かについて行こうとすると、途端に苦しくなる…
フルマラソンなんて私には違う世界のお話、です。
それでも、運動したいなぁ、と感じると、道具も何もいらない、
ジョギングが一番手軽にできる運動だと思うのです。
そして、前から興味のあったジョギング体験会へ。

この体験会、普通ではありません。
ラクに走ることを主目的としたジョギングです。
その体験会で、まず走る前に、きかれたこと。
このレッスンが終わったとき、どんな気持ちになりたいですか?
(これって、まさにコーチング的質問…と思ったら、アスリートのメンタルコーチングもされているとのことで納得!)

爽やかな気分で、また走りたいな、と思いたい。
と、私は答えましたが、その通りになりました!

ネタバレになってしまいますが、
ラクに走るコツは、自分の心地よいペースで、力を抜いて、苦しくなったらすぐ休む
でした。
だから、足が痛いとか、苦しいとか、違和感を感じたらすぐに休んでください、弱音はどんどん吐いてください、と。

子どもの頃、学生の頃にこんな体育の先生に出会いたかったなぁ…

弱音を吐くって、どちらかというと、ネガティヴなイメージ。
でも、それは、本音を言うこととほぼ同じなんだと思うのです。

子どもの頃、私は弱音は吐かない子でした。
体調悪くてもそれが親にも言えないような子で、限界まで耐えてたり 笑

親になった今、逆に子どもが弱音を吐かなかったら、やっぱり困るな、と思います。

運動を、根性論だけで論じてはならないように、
生き方も、根性論ではダメなんだ、って今ならわかります。

夫といるのがどうしても辛い。でも子どものためにも耐えなければ・・・
この職場、辛くて辛くて、朝体が動かない。でも頑張って出社しないと・・・
こういうのが根性論からの延長だと思うのです。

生き方も、運動もおなじ。
根性さえ出せばいいってことじゃない。
自分が心地よくなるにはどうしたらよいか、っていうこと。

(ジョギングのコーチ、入澤さんのフェイスブックはこちら

 

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