その言葉を選ぶのは

life

私は文章を書くことを仕事のひとつとしています。

言葉の選び方によっては、考えもしなかった印象を与えることもある。

データを読み取り、私が「〜〜である症例は◯%であった。」と書く。

ここで、「患者」ではなく「症例」という言葉を選ぶと、患者を人間扱いしてないのか⁈という話にもなることがある。

私は「症例」という言葉を使ったからといって、

その薬を使った人を人間扱いしてないわけじゃないし、

そのデータは、血の通った人間のものであり

その人には家族もいるんだろうということは承知している。

さらに。

例えば、昔勤めていた薬局では

処方箋をもってくる人たちのことを、患者さん、と言っていた。

薬局によっては、敬意を払って「患者様」と言えと教育するところもあるらしい。

「患者」と言うと、呼び捨てするとは何事か!となる。

様をつけていないからって敬意がないわけじゃないのに。

言葉の表層的なところで議論したってしょうがないのにと思ったことも。

さて、本題。

外で、夫のことをなんと呼ぶか。

「主人」「旦那」「旦那さん」「夫」…

ちなみに、私は「夫」と言う。

「主人」は、なんだか恥ずかしくて、言葉に出すのに躊躇。

「夫」と呼ぶのは、

私と夫は対等よ!と、頑なに男女平等を主張したいからではないです。

主人、となかなか言えないのは、主人と思ってないからではないです。

私、夫をすごい人だと思っています。

そして、パートナーとして家族として愛する、と決めています。

もしも、肩書きや経済力などを取っ払ったとき

変わらずそのパートナーを愛する自分であるかどうか。

今の私なら、そうです、と答えられる。

ある日、インターネット回線の勧誘の電話を受けて

「夫が…」と私が電話口で話していたら、

娘が「おっと⁈ おっとっと〜〜」と笑った。

長らくシングルマザーだった私が、あまり使わなかった言葉。

意識して使う言葉と無意識のうちに使う言葉。

主人、となかなか言えない私だけど、

夫への愛情が、本人に伝わりますように。

そして、やはり文章にはその人の人柄が出る。

「患者」と書かずに「症例」と書くから冷血人間、という短絡的な話ではなくて、

もっと全体的な話。

だから私は無意識ではなく

意識して言葉を使うようにしたいと思うのです。

いい人に思われたくて言葉を選ぶのではなくて、

自分の美学に準ずるように言葉を使いたいのです。

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