毎年、桜が咲くと、私はシングルマザーになって最初に見た桜を思い出します。
正確に言えば、シングルマザーとはいっても、娘はお腹の中にいました。
離婚した直後の春です。
毎年毎年、桜は美しくて
受験して合格した希望の学校に入学する時
本当に楽しかった学校生活を卒業する時
一人暮らしを始める時
長い学生生活を終えてやっと就職する時
・・・
いろんなタイミングで桜を見てきました。
唯一、美しい桜を見たくもないと思ったのがその時の桜でした。
大きなお腹した妊婦が離婚して、そんな自分がどうしても受け入れられず
世界からも否定されているような気がして
美しいものを見ると、いかに自分がダメな存在かを見せつけられるような気がして
桜なんか早く散ってしまえとまで思っていました。
あれから随分年月が経ち、
今、私は再婚してもう一度家庭を作っているところ。
美しい桜をちゃんと自分の目で見ようとして、見ている。
それができるだけで、私は幸せだなと思うのです。
あの時は、桜を見上げることもなく、視界に入らないようにしていました。
春がきて、桜が咲き、散り、1年が経ちまた春がきて。
見えるということ
聞こえるということ
自分に与えられた感性を生かしきる。
それをさらに、自分の言葉や話すことに注いでいこうと思います。
今、悲痛な気持ちで桜を見ている、もしくは見たくもないと感じている人へ。
その今の気持ちは、決して無駄にはなりません。
無駄になるどころか、今後とてもあなた自身の大きな糧になっていくことでしょう。
来年、どんな気持ちで桜を見ていたい?